-Trust-


生まれた時から。
同胞とは別の集団の中にいた。

誇り高き人狼の血筋。
そう言う父の言葉は、けれど苦い色に彩られていた。
異邦の集団の中で暮らし。
異端であることを隠し続ける日々。

だからこそ、同胞との絆は何よりも大切なものだった。

夜に囁き。
その血を鎮める。
血の囁き。
一時の安寧を。

父以外の同胞と知り合ったのは12の時。
使いに出された村で起きた事件。
封鎖された村の中で同胞の囁きを受け取った。
一人は父よりも更に年経た智恵ある狼。
一人は父よりもずっと若い姉のような狼。
彼らに守られて絡みつく白の鎖を食い破った。
同胞ならば信じてもよいのだ。
そう教わった。
そう信じ続けていた。

――しかし。

真実は、そうではなかったのだ。



『聞こえるか?』
その声は辺りの喧騒の中に埋もれず、ハッキリと耳に届いてきた。
食事の手は止めずに、けれど思わず笑みが浮かんできた。
『ええ』
『今の状況は』
『分かっています。初めてじゃありません』
『そうか。…俺はアーク。君はこちらでの名を持っているか?』
『はい、エリスです』
『じゃあよろしく頼むよ、エリス』
その囁きと共にこちらへと視線を投げてきた男。村人達からマイルズ、と呼ばれていただろうか。
『ええ、よろしくお願いします、アーク』
一瞬だけ視線を交わして、小さく頭を下げる。
囁きのような微かな笑いの気配が伝わってきた。

今度の同胞もどうやら経験を積んだことがある者らしい。
安堵を憶えながら、フランは食事を続けていった。

『誰 !?』
互いに囁きながら相談をしていると、突然割り込んできた声があった。
思わず視線を交し合い、それから二人でゆっくりと囁きかける。
『君こそ誰だ?』
『あなたも仲間なの?』
どこか呆然と目を見開いていたのは、地主の一人娘であるロザリーという女性だった。
村人たちに囲まれた中、確かに何かを受け取ったという表情をしている。
アークからも驚きの気配が伝わってきたのは、同じ村人に囁きを受け取れる者がいたからだったのだろうか。
『…とりあえず落ち着け』
『目立ってはダメよ』
そう囁くとロザリーは小さく頷き、周囲の村人に何でもないという仕草を示しながら会話の輪に戻って行った。
二人共に安堵の息を吐き、小さく笑う。
『俺はアーク、今エールを飲んでいる』
『私はエリス、今はシチューを食べてるわ』
どこか不安そうなロザリーにそれぞれの姿を明かした。
ちらちらとこちらに視線が飛んでくるのを感じ、一瞬交差した目線で目礼を返す。
『大丈夫だ』
『大丈夫よ』
『…ええ、ありがとう』
意外と冷静な声が返って来た。
それを感じて、それなら大丈夫だなとアークが笑った。
エリスも笑った。少し遅れてロザリーも笑いの波動を囁きに乗せてくる。
頼もしい仲間達に、エリスは安心を感じながら食事を終えた。

『さて誰が騙るか』
『占い師を演じればいいの?』
『ああ、それでもいいが』
『ならば私がやるわ』
即座に返って来たロザリーの返事、これにはアークもエリスも驚いた。
人間に聞こえない声で囁けるというのは同族の証でもある。
極稀にこちらに近づきすぎた人間も囁けるようになるのだと言われているが、本来的には狼としての能力の一つなのだ。
そして騙りをする狼の生存率はどうしても低くなる。多くの場合、対抗となる能力者を喰らわなければいけなくなるからだ。
それなのに一切の躊躇無くそれをやってみせるというロザリー。
『いいの。貴方の役に立てるのでしょう?』
『あ、ああ』
戸惑いと何か入り込めないものがアークとロザリーの間にあった。
エリスも僅かに戸惑いはしたが、けれど不安には思わなかった。
囁けるのは同族。同族なら助け合うのが当たり前のこと。そう思っていたから。

ロザリーはもう一つの名を持っていなかった。
自分にも欲しいという願いに、アークが「ソロル」と名付けた。
ロザリー、いやソロルは嬉しそうにその名前を呟いて、そのまま周囲の者に自分は人狼を判じる占いができると宣言した。
それに対して、当然だがもう一人、カレンという少女が自分こそが占い師だと主張した。
困惑する村人たち。とにかく準備が出来てから、翌日には出るという占い結果を待とうこととなった。

『どうする?』
『まずは問題のなさそうな人間…あの踊り子辺りがいいだろう』

その後、アークとソロルは何やら二人で出かけたようだった。
けれどエリスは心配せず、部屋でゆっくりと休んだ。
仲間がいれば恐れることなど何も無いのだと思っていたから。

そう、この時は心から…そう思っていたのだ。



その晩は自警団の長だという男を襲撃した。
朝方近く、アークが戻ってきてからエリスを誘ったのだ。
二人がかりで討ちかかり、その肉を食み、血を啜る。
審問を切り抜けるだけの力を補充するためにも、それは必要な儀式だった。
ソロルはそんな二人を後ろから眺めて、一口だけ、男の血を口にした。

『さあ、夜が明ける』

占い先は、奇しくも二人一緒だった。
集会は喧々諤々の騒ぎとなり、ミュウはご意見番のような位置に立った。
彼女は何故か審問知識も持っていた。そして処刑の必要性を皆に教え。
……大騒ぎの末、今朝方家を出て昼になって戻ってきたという高利貸しの男が処刑された。
他に特に候補が出なかっただけだったのだが。
男は最後まで抵抗したが、村人たちは恐怖に駆られて手を下した。
会議場には重い沈黙が流れた。
一人、また一人と沈黙の内に席を立ち、家へ部屋へと帰ってゆく。
フランもマイルズもロザリーも、その中に紛れるように自分の居場所へと戻っていった。



『まずは一つ切り抜けたな』
部屋に戻った所でその囁き声が聞こえてきた。
『次はどうします?』
『占い師はソロルもいるからもう少し様子を見て…確定しているミュウでいいだろう』
なるほどと思った。確かにカレンを襲撃すればソロルへの疑いが一気に深まる。
彼女の協力を最大限に活かすならその方が良いだろう。
『ソロルもそれでいいか?』
『ええ、お任せするわ』
頷く気配が伝わってくる。そうしてその夜の襲撃は決まった。

もう少し寝静まってからにしようということで、そのまま暫く取りとめも無い話をしていた。
マイルズは実はこの村に住んでから1年と経っていないということ。
その前はずっと旅から旅への生活だったということ。
ロザリーはこの村から出たことも無く、外の話を聞くのが大好きだということ。
その代わりこの村のことなら抜け道や隠れ場所も含めてかなり詳しいということ。
『お転婆娘なんだよな』
『そんな言い方はないと思うわ』
二人の絶妙な遣り取りに思わずクスクスと笑った。
『エリスは?今までどうしていたの』
『私は夕石村にずっと住んでるの』
『ずっと?そんなに長く定住しているのか』
『うん、ちょっと理由があって』
驚いたようなアークの声に、小さく笑った。
呪いの話、父親の話。
問われるままに語っていった。
『村では絶対に襲わないから』
『そうか、それは大変だな…』
そろそろ時間も良いだろうということで合流することになった。
ソロルは家人がまだ起きているとかで、すぐには来れそうに無いということで。
宿の裏、戻ってきたアークと合流する。
こちらの姿を見つけると、彼は頭を撫でてきた。
驚いてみれば優しい笑顔がそこにはあって。
エリスもふわりと微笑んだ。

宿の奥の部屋、警戒されていることは分かっていたから一気に攻めた。
鍵を奪い扉を開けて、声を上げられるよりも早くアークがその喉を食い千切る。
その身体が倒れるのをエリスが走り寄って受け止め、音を立てずに横たえさせる。
そこから先は今朝方と何も変わりはしない。
『狼にならないのはそんな理由もあったのか』
エリスにも場所を譲ってくれながらアークが言った。
『まったく出来ないわけでは無いんだけど』
肩を竦めて答える。
『残念だわ、エリスの狼姿も見てみたかった』
ソロルの声だけが響く。結局彼女は来ることが出来なかった。
家人の目が厳しくてどうにも抜け出せなかったらしい。
もっとも今日のこの状況では彼女をここまで連れてくるのも難しかった。
諦めてもらうしかないだろう。
『ごめんね』
『エリスが謝ることじゃないでしょう?』
淡く笑う波動が返って来た。
『エリス、首筋』
『んっ』
狼姿のアークが、ミュウを受け止めた時にできた傷を舐めた。
くすぐったくて小さな声が漏れる。
面白がって更に顔を舐めてくるアーク。
からかいを含んだそれにクスクスと笑う。
そんな、他愛も無いじゃれあいが。

まさか、もう一人の心を。
それほどまでに波立たせていただなんて。



翌朝、無残な姿で発見された踊り子を目の前にして。
村人達の中に戦慄が走っていった。

その動揺につけ込んで。
審問を乗り越える。
そのはずだった。

集められた村人たちの中、占い師候補の二人が立ち上がる。
「アヤメさんは人間です」
カレンがそう言って旅の女性の手を取った。
どこか気だるげな笑いを浮かべながらも、アヤメはホッとした様子で頷いた。
そしてもう一人の候補へと視線は集まって。
「私が今日占ったのはフランさんです」
ロザリーの言葉によって、酒場に冷たい沈黙が降りた。
「フランさんは狼です」
頭の中が白くなった。

『何を言っているんだソロルッ!』
『だってその子が消えれば貴方は逃げられるわ!』
ギラつく瞳に見据えられて体が硬直する。
何を言っているんだろう。
どうしてここでこんなことを言うんだろう。
「じゃあ、そいつを…!」
酒場の中に怒号が満ちた。
逃げなければと思うのだが、身体が言うことを聞かない。
あまりにも唐突な崩壊に、暫し茫然自失としてしまったのだ。
殺気だった村人がフランを囲む。

「お待ち」
そこにアヤメの声が掛かった。
「何で今日その子の方を占ったんだい?」
「もう一人狼が見つかれば…」
ロザリーが振り返って答える。
その言葉にアヤメが目を細めた。
「もう一人?」
「だってそれで全部終わる…」

『おい、待てっ!』
慌てたアークの思考。
『不用意なことを言うなっ!まだ霊能者が残っ…!』

「何でだい?」
アヤメの唇の端がつり上がった。
「何であと一人だなんて分かるんだい…?」
そういうアヤメの瞳には確信的な表情。
「だって、ブラウンさんは処刑し終わって…」
「ブラウンは狼なんかじゃないさ」
ロザリーを見つめて。
「だってブラウンは確かに人間だったんだからねぇ!」

再び沈黙が降りた。
村人たちは困惑の表情でアヤメとロザリーを見比べている。
「アタシには分かるんだよ。殺された瞬間にならね」
薄い微笑と共にロザリーに指をつきつけた。
「オマエは偽者だ!」
どよめきが走る。

『チッ!』
『アーク?』
叩き付けられた思考に茫然自失から立ち直る。
『すまない、エリス』
『え?』
何を言われたのか分からなかった。
だが次の瞬間、目を見開くことになった。



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