「怖くないヨ?」 そう言った男は隠していた尾を出して見せた。 ぱたり、ぱたりと揺れる尻尾。 少女の目は突然現れたそれに釘付けになった。 「しっぽ」 誘うように揺れるそれに、思わず手を伸ばす。 「…捕まえた」 その手とは逆の手を掴み、小さな身体を引き寄せて。 しっかりと抱きとめた男はニンマリと笑う。 ハッとする少女。 慌てて手足をばたつかせるが、男は勿論放さない。 「…つかまっちゃった」 見上げる少女。 けれど余り困った様子には見えなかった。 クックッと笑う男。 「痛くない、痛くない。怖くない、怖くないヨー」 抱きしめながら、その耳元で囁く。 「んー」 少女はその言葉に小さく唸りを返して。 結局きゅっと抱きつき返した。 「イイ匂いだなあ、食べちゃいたいなあ」 わざと舌なめずりの音を立て、男が囁く。 ぴく、と反応した少女がまた身じろぐ。 クスリと笑いを漏らした男はその頬を小さく舐めた。 「ひゃっ!」 驚いた少女が小さな悲鳴を上げる。 クスクスと笑い続ける男。 「片耳だけ、なら駄目かなァ?」 おどけたような声で囁き、小さく首を傾げてみせる。 その声に、少女は顔を上げて。 「…たべるの?」 恐る恐る、といった様子で問いかけた。 男はにっこりとした表情を返し。 「うん」 そう答えて。 少女は少しだけ困ったように小首を傾げ。 「…いたいの?」 もう一度尋ねる。 男の表情は変わらないままに。 「ちょっとだけ。ちょっとだけ。大丈夫大丈夫」 「むぅん」 悩む少女。 男は期待に満ちた目で、その尻尾を揺らして。 「…ちょっと、だけ?」 「そう、ほんの少し」 これくらい、と指で小さな輪を作る。 「んむ…」 少女はそれを見て更に悩み続けたが。 最後は男にしがみついた。 その目はぎゅっと閉じられたままで。 男の目がスッと細まる。 「イイコイイコ」 少女の頭をなでて、その顎を手で支えて。 耳の先端をまずは甘噛みする。 少女はぴくりと身体を強張らせたが動かない。 男はそのまま牙を立て、瞬間的に噛み千切った。 「んっ!」 ゾクリという感覚が走り、男に抱きつく腕に力を込める。 男は舌の上でその欠片を転がし、暫しそれを味わって。 その耳に流れる血も丁寧に舐め取ってゆく。 「…イイコイイコ」 その頭を再びなでながら笑いを含んだ声が囁く。 「旨かった」 少女はぼんやりと男を見上げて。 「ん…。…よかった」 しがみついたまま顔を上げ、ゆっくりと笑う。 男は甘みのある血で微かに喉を潤し、止血できたことを確かめて。 首を回して少女の顔を覗き込んだ。 「……もうちょっと? 駄目?」 きょとんと見つめ返す少女。 「……んむぅ」 小さな傷でもやはり痛みは確かにあって。 けれどお願いされればハッキリ断ることもできず、少女は悩み唸る。 それを見た男はくしゃりと笑った。 「冗談。冗談」 肩を震わせる男。 「…むっ」 少女はホッとしたような、けれどどこか不満そうな顔でそれを見上げ。 「今全部食べたら、勿体無い」 笑いが止まらないままで男は少女に応えた。 「もっと大きくなってから、なァ?」 そう言った顔は優しい笑顔で。 「……ん」 僅かな逡巡の後、少女は頷いた。 男は少女の頭を三度撫でて。 一呼吸をおくと少女を解放した。 それと同時に立ち上がり、尻尾をひゅるりと隠す。 少女はそれを見ると首を傾げて。 「もどる?」 伸ばし触れた手をそっと握って問いかける。 「ん」 男はその手を優しく握り返して。 「今日のことはナイショだ。な?」 「ん!」 少女はこっくりと頷く。 男はそれを見て、もう一度膝をついた。 少女の視線と己のそれの高さを合わせ、握った手を一度放して。 その小指を絡め合わせる。 「ゆびきり。知ってるか?」 「うん」 頷く少女。絡めた小指を小さく上下に振りながら。 「ゆーびきーりげーんまーん」 小さく歌う声に男の声が重なる。 「…げーんまーん、うっそつーいたーら…」 そこで声は低く落とされて。 「…喰いにいく」 知った歌と変えられた少女はきょとんと男を見て。 「ん!」 しかしすぐにニッコリと笑ってみせ。 「おーやくーそくっ!」 節はそのままにそう繋げた。 男も少女の笑顔につられるように明るく笑い。 「おうおう、約束なァ?」 繋げた指を離し、くしゃくしゃとその頭を愛しそうになでた。 「やくそく、だよっ!」 朗らかに答える少女。 だがその直後に一瞬だけ大人びた笑みを浮かべて。 「…貴方が、ちゃんと来てね?」 その表情はホンの一瞬で消え、少女は笑って歌う。 「ふーたりーだけーの、おーやくそくー」 男はその様子に目を細めたが、やはりすぐに笑って胸を叩いた。 「安心しろい。狼は、仁義の生き物なんだぜ?」 その口の中だけで、嘘もつくけどなと呟きつつ。 再び頭をなでで踵を返した。 少女もぱたぱたとその後ろを付いて歩き。 村の中心へと戻るところで足を止めた。 「おやすみ?」 声を掛ければ、男は振り返らずに片手を降って。 「おやすみ。良い夜を、良い夢を、ってな」 それから低い声で。 「……良き人生のあらんことを。再会の運命のあらんことを」 ぽつり、と呟く。 「んっ!」 少女にはその声は届かなかったか。 その後姿に手を振ると、別の方向へと歩き出す。 「んーんんーんんーんー」 先ほどの節を、鼻歌のように歌いながら。 家へと戻っていった。 いつか少女は知るだろうか。 耳についた微かな傷は、狼のつけた印だと。 「コレハ オレノ エモノダ」 そう主張されているのだと。 少女の記憶は思い出の底で眠りにつく。 それが開かれるのは。 人狼審問の、夜。 |