花びらの舞う中、歩みを進めてゆく。
長い冬が終わり、ようやく訪れた春。
そよ風に吹かれ、その紫紺の髪がなびいた。

その春、村には住人が一人増えた。
シスターメリッサ。
優しい笑顔を持つ彼女は、すぐに村に溶け込んだ。




「 先生 !? 」
突然かけられた声に振り返る。
そこにいたのは一人の旅装姿の青年。
帽子が飛ばされるのも気づかぬまま、驚きの表情でこちらを見ていた。
足元まで転がってきたその帽子をゆっくりと拾い上げ。
「久しぶりね…ザックス」
そっと差し出しながら、メリッサは優しく微笑んだ。


遠き日の約束。
偶然の出会い。

運命の輪が回る音。
必然の巡り合わせ。


「先生はどうしてここに?」
村を見下ろす丘に並んで座り、ザックスは訊ねた。
「あなたの村に行った時と一緒よ。私は巡回の役目を負っているから」
小さく笑ってメリッサが答える。
「そうかぁ。…珍しいよね、シスターが巡回するのって」
「そうね。余り多くは無いわね」
「それだけシ先生が凄いってことだね」
無邪気に笑うザックス。メリッサの瞳がほんの僅かに揺れる。
けれどそれを悟らせる事はなく。
けれどそれを知る術はなく。
澄んだ秋の空だけが二人を見守っていた。


「人狼が出た!」

それは再会から数日後の事。
噂にはなっていたものの半信半疑だった村人達に戦慄が走った。
隣村の婚約者に会いに行った大工のダグラスが、その日の朝、無残な姿で発見されたのだ。
恐れ戸惑う村人達を前に、酒場の主であるウォルターが立ち上がった。
「仕方が無い。伝承にある方法を取るしかあるまい?」
ザワリとどよめく一同。
伝承に従う…それは疑わしきものを順に処刑してゆくということ。
人狼を狩り出すことが出来ると同時に、無実の者まで葬ってしまうことが多い方法。
しかしこのまま放っておけば当たり前のように人狼に貪られるのみ。
重たい空気が漂う中、村人達の目に決意の光が灯った。
「人狼を探せる奴…占い師はいないのかい?」
静寂を破るように情報通で知られるマイケルが誰にともなく聞いた。
そういえば、と村人達は思い出す。伝承に残された人狼に対抗するための人間の数少ない能力。
人狼が出るところには、運命に導かれるようにそうした存在もいることが多いのだと。
「人狼を早く吊り出せばそれだけ犠牲者も少なくて済むんだ。いるなら教えてくれよ?」
互いの顔を見合わせる。そんな特殊な能力は。

「アタシ、それ出来るよ」
「僕は、占いが出来ます」
同時に発された台詞に、その場の視線が二人へと注がれる。
隣村から来ていたパティと、旅人であるザックス。
戸惑いと不信、そして寄せられる微かな希望。
どうしたものかと思い悩む村人達。やがてその場を仕切るような形になっていたウォルターが口を開いた。
「ならばやってもらおう」
その視線が皆の上を通り過ぎ、やがてその一角に目が留まる。
「どうせ話し合っても決まりはしない。そこにいるもう一人の旅人とシスター、その二人でもとりあえず見てもらおうか?」
力強い口調にその場の流れが決まる。選び出された一人であるナバールという青年は渋い顔をしていたが、いつの間にか総意となっていたそれに逆らう事はできなかった。
「パティ、お前はシスターを。ザックス…とか言ったか、お前はそこの奴を」

緊張した様子のパティが進み出てメリッサの手を取る。
何かを小さく呟きながらその手を見つめ、やがて怖ろしい表情で振り払った。

「アンタ、人狼だろう!」

どよめく一同。息を呑むメリッサ。
一気にその場の空気が殺気立ち、メリッサに鋭い視線が集まった。
「待て!まだもう一人の候補者が終わってない!」
ウォルターの一喝がかろうじてその場を収める。
だが空気は張り詰めたままに。
「パティの結果は分かった。お前も早くやってくれ」
掛けられた声に肯いてザックスが進み出る。
ナバールの目をじっと覗き込み、その中にある真実を引き出そうと。

祖母であるマリアは、村では有名な占い師だった。
普段は滅多にその力を使うことは無いが、有事の際には何時もピタリと当ててみせる。
その血筋は確実に彼にも受け継がれていて。

映ったのは黒い影。
赤と黒の入り混じった、人ではない姿。

「あなたは、人狼ですね」

静かに告げられた声に、再度どよめきが走る。
緊迫した空気の中、少しだけ掠れたウォルターの声が響く。
「二人とも人狼、か。ならば…やるしかないな?」
殺気が膨れ上がる。だがどちらから?
村人達の視線がメリッサとナバールに集中する。
僅かな逡巡。どちらの方がまだしも信頼できる?
「悪いな旅人。シスターはまだ短いとはいえこの村の住人だ」
やがてウォルターが村人を代表して告げる。
「お前を処刑させてもらうよ」

「巫山戯るな!」
間髪入れずに怒声を発して立ち上がった青年は、自分をそんな立場に追いやったザックスに飛び掛かった。
抜かれた腰の剣。
驚愕、悲鳴、怒号。
紙一重でその一撃を避けたザックスに、さらに振り下ろされようとした剣は、しかし音を立てて床に落ちた。
止めたのは、ナバールの胸から突き出されたマイケルの剣。
「これで御終いだな」
崩れ落ちてゆくナバールの顔を覗き込み、皮肉気に嗤う。
「こんなのが見えちゃ、語るに落ちたってモンだぜ」
激昂が擬態を緩めさせたのか、確かにその口から覘くのは人にはあり得ざる牙。

村人達の熱い視線がザックスに注がれる。
でも、それならばもう一人は。

「ちょっと待て!アタシが嘘をついたって言うのかよ !? 」
ゆらり、と向けられた視線にパティが怒鳴る。
伝承によればその力を持つものが複数揃う事は稀。だがしかし。
「…そうとも限らないな。そこの奴が嘘をついた可能性だってある」
ウォルターが静かにザックスを見ながらそう言った。
「お前達、続けて見れるか?」
そのままパティにも流された視線に、二人は揃って首を振った。
人には稀なるその力。そうそう簡単に使えるものではないのも伝承の通り。
漏れる溜息。だが仕方の無いことで。
「今夜はこれまでだ。皆は家に…パティ、シスター、ザックスはここに泊まっていってくれ」
「俺も残ろう。そうすりゃ少しは安全だろう?」
ウォルターの言葉にマイケルが片手を上げて言い添える。
小さく感謝を示しながらウォルターが肯くと、村人達の空気が少しだけ和らぐ。
そして、その夜は解散となった。


「先生、いいかな?」
扉が叩かれたのは既に日付も変わった頃。
月を見上げていた窓から離れ、そっと扉を開いた。
「どうしたの?」
「うん…ごめんなさい、こんな時間に」
そう言ってすまなそうにこちらを見るザックスは、まるで少年の時と同じように不安げな顔をしていて。
小さな苦笑と共にメリッサは中へと招き入れた。

「とんでもないことになっちゃったね」
勧められた椅子に腰掛けてザックスは呟いた。
「そうね。まさかこんな事態になるなんて」
こちらはベッドに腰掛けてメリッサが答えた。
「…先生は僕のこと、信じてくれる?」
その声に不安の色が滲むのを抑え切れなくて。
「どうしてそんなことを聞くの?」
それに気がつきながらも知らない振りをして。
「…僕が見てしまったせいで」
その優しさは人以外のものにすら向けられて。
「必要だったことでしょう」
それは昔のままの少年を思い出させるようで。
「…役に立てているのかな」
その思いだけが自分を支えてくれているから。
「とても助かっているわよ」
それだけが彼を支えていると知っているから。

窓から差し込む月明かり。
優しくけれどどこか冷たいその光のみが部屋を照らして。

そこに僅かな影が差す。


「ん?」
小さな物音に反応して顔を上げる。
「え?」
湧いた気配に反応して顔を上げる。

「アンタさえいなければ!」
飛び込んできたのは隠そうともしない殺気。
「アンタが占わなければ!」
声には涙さえ滲んで。
「アイツは死ななかった!」
光る瞳は真っ直ぐにザックスを見つめるのは。
パティ。もう一人の占い師候補。
怒りと悲しみの入り混じった視線は、ザックスの動きを封じるかのように。

「危ない!」
突然の横合いからの衝撃。
驚いてそちらを向けば、自分を庇うように突き飛ばしたメリッサの姿。
「先生!」
振り下ろされようとする鋭い爪。

キイン。

けれど不思議な音と共にその爪は弾かれた。
メリッサに届こうとした瞬間、何故か軌道を逸らすように。

「何でだよ!」
悔しげな叫びを上げて再度こちらに向かってくるパティ。
今度こそ先ほどまで腰掛けていた椅子を投げつけて邪魔をするザックス。
しかしパティは簡単にそれを避けて迫ってくる。
ザックスに覆いかぶさるようにして庇おうとするメリッサ。
「邪魔するなっ!」
そのメリッサを腕を振って突き飛ばす。
けれど一緒に振るったはずの爪はその身を傷つけることなく再び弾かれて。
驚いて出来た僅かな隙に、ザックスはテーブルを倒して間合いから外れた。

そこに走りこんでくる二つの影。
光る二筋の銀の光。

ザクリ。

鈍い音と共にパティが硬直する。
腕を切り落とされ。
その心臓を確実に貫かれて。
仲間の死を怒り悲しんだ人狼は事切れた。


「間に合ったか」
重たい息を吐いてウォルターが呟く。
「怪我は無いのかい?」
どこか気だるげにマイケルが訊く。
「僕は大丈夫…先生は?」
「私も無事ですよ」
二人の返事に少しだけ安堵を洩らし。
男達は静かに剣を収めた。
「まさかパティが、なんてな」
「あぁ、俺もそこの兄さんを疑ってたよ」
その言葉に小さく目を伏せるザックス。
小さな村だ。知り合いよりも旅人を疑うのは当然の事。
何よりも、その知人が人狼だったという彼らの衝撃は計り知れない。
「さて、兄さんが真実占い師らしいってことは分かったんだが」
何かを振り切るかのようにマイケルが頭を振った。
「そうだな。最後に皆を納得させるために、朝になったらもう一度占いをやってもらえるだろうか」
こちらも肩を竦めてウォルターが言う。
「こんな事件の後だ。残念だがシスターはこの村に長く住んでいるわけではない」
「皆も頭では分かるはずなんだ、だけどなぁ」
「一度人狼と言われてしまうと、それが打ち消せない者もいるかもしれない」
「そんなわけで、占い師のお墨付きって奴を出してくれよ」
二人の説明にザックスは納得して肯いた。
「分かりました。…先生?」
振り返ったザックスはメリッサの顔色が悪い事に気がつき、心配そうに覗き込む。
「…ごめんなさい。では明日の朝にお願いするわね」
覗き込まれたメリッサは小さく首を振ってそんなザックスに微笑んだ。


新しく用意された部屋で。
メリッサは一人、月を見上げていた。

その瞳に青白い月を映して。
静かに瞼を閉じた。


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