―― 其を狂気と呼ぶならば。
―― 私は喜んでそれを受け入れよう。
―― この道を選んだのは他でもない私自身なのだから。


殺伐とした議論の結果、その日の処刑者は村外れに住んでいた薬師に決まった。
今朝方、無残な姿で発見された花売りの娘フローラ。
彼女が最後に向かったのが薬師の家だったという事実が決め手になった。
諦めたかのような溜息とそれを断ち切る鈍い音。
それは重苦しい空気となって集まった一同の身を包んだのだった。

皆が解散した後、クロードは昂りきっている感情を抑えるためにこっそりと宿の外へ出た。
「何でこんなことになっちまったんだか」
ほんの軽い気持ちで立ち寄った村、まさかそこが人狼騒ぎで揉めているとはつゆとも思わず。
苦い溜息が漏れる。小さく舌打ちして冷たい空気を深く吸い込む。
もちろんこんな所を誰かに見咎められれば、明日は自分が処刑されることにもなりかねない。
けれど冷静さが一番必要されるこの時、このままでいるのもまた身の破滅だろうと思った。
故に彼は人と出会うことが無いように歩みを進めていったのだった。

今にして思えば、その時には既に精神状態がおかしくなっていたのかもしれない。
けれどそれがどうしても必要だと思ったのだ。
そしてある意味でそれは間違いなく必要な行動だったのだ。


やがて辿りついた村外れ。
そこには既に先客がいた。
 「あ……」
静かに降り注ぐ月光の中。
少女は静かに佇んでいた。


それはこの村に来てから親しくなった踊り子の少女、ディアーヌだった。
幼さを残した彼女の舌足らずな口調を、クロードは少なからず気に入っていた。
この事件にもちろん巻き込まれ、今日も不安そうな顔で端の方の席に座っていた彼女。
こちらにも余裕が無いのでロクに話せなかったが、彼と目が合った時には嬉しそうに笑っていた。
その彼女が。

月の女神と同じ名を持つ少女が、月光に照らされて微笑んでいた。

それを認めた瞬間、青年の身体は本能に従って後ろへと一歩退いた。
見つめていた少女の瞳がチカリと光る。
次の瞬間、少女は彼の目の前にいた。
 「どうして、にげるの?」
少女は小さく首を傾げて尋ねてくる。
二つに結われた蒼い髪がフワリと揺れる。

それは人間では不可能なほどの跳躍。
驚きいた彼はたたらをふんで彼女を見つめた。
 「なっ…… なんで、追ってくるのかな…?」
思考が纏まらず、ただ頭に浮かんだことを口に乗せる。
彼女はなぜ?と口の中で呟くと、小さく微笑んだ。
 「にげるから、ですよ?」
その笑顔はいつもと変わらないもので。
いつもと変わらないことが彼には怖かった。
 「わ、私はべつに…そうっ!用事!用事を思い出してっ!!」
説得力が無いなと自分でも思いながら、それでも最初の問いにそう答えた。
彼女はようじ…と再び口の中で呟き、彼をじっと見つめる。
 「…わたしよりも、たいせつなの?」
小さな囁き。
見つめてくる蒼い瞳。
 「そっ、そんなことは、無い、けど…でも…あの…」
慌てて言い募る。けれど続きは声になりきらず。

 『……今日は満月だからっ……』
口の中だけでの囁き。
少女の蒼い瞳がチカリと月光を反射する。
 『つき、きれいなよるなのに?』
囁かれた声はまるで彼の独り言を聞いていたかのようで。
目を見開く彼に微笑む少女。
 『月の綺麗な夜だから……』
囁きに囁き返す。
密やかなそれは、けれどハッキリと響き。
少女の笑みが深まる。

 「……ごめん」
その一言と共に、クロードは一歩前に踏み出して。
ディアーヌを抱きしめた。
 「月の綺麗な夜だから、……君から離れるべきではなかったね」

 「うん。いっしょが、いい」
ディアーヌもまた、クロードに抱きついて。
その胸に顔をうずめて。
 「だって、いっしょじゃないと…」
 『いっしょじゃないと…』
声は徐々に空気を震わせなくなり。
 『…ひとりではとめられない、もの…』

 「臆病で、ごめん…」
囁きは聞こえているのかいないのか。
けれど青年は間違いなく少女の心を感じていた。
そっとその頭を撫でながら。
 「もう、離れないから。大丈夫だよ」

空気を震わせる声よりも確かに。
その声は少女に届いた。
一瞬だけ震えると、青年に抱きつく腕に力を込めて。
 『わたしは、ここに、いたい… 』

その声を彼は確かに受け取って。
 「いたいなら、いればいい。誰も君を連れ去ったりはしない」
やさしく、どこまでもやさしく。
 『そんなこと、私がさせないよ』
囁いた。

彼女は安心したようにフワリと笑い。
 『うん……』
けれどその瞳からは一筋の涙が零れゆく。
 『……どうした?』
彼女の様子に少し慌てながら彼は聞いた。
 『何か悲しいことでもあったかい?』
頬をつたうその涙を指でそっと拭いながら。
 『かなしく、ない』
小さくかぶりをふると、もう一度抱きついた腕に力を込める。
 『こうして、いられるから…』

そう、彼は仲間になったのだから。
散っていった仲間と入れ替わるように。
 『……だいすき、だよ……』
彼女は万感の思いを込めて囁く。

静かに凭れ掛かるその身体を抱きしめて。
そのぬくもりを確かに腕に感じて。
さっき逃げた自分はもうここにはいない。
恐怖より何より、愛しい、守りたいという気持ちが、あのとき自分を奮い立たせた。
そして。
 『絶対に……守りきってみせるから……』
彼は万感の思いを込めて囁き返す。


ゆっくりと、いつまでも。
クロードはディアーヌの頭を撫でていた。
月明かりの下、いつまでも。

静寂と月光だけが二人を包んでいた。
騒乱の日々に訪れた一瞬の安らぎ。
青年と少女は最期の時までその時間を忘れる事はなかった。


―― 囁き交わす、緋の世界。
―― 少女と青年、二人の囁き。
―― 二人だけの、赤の世界。









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