- Bote des Lied -


深い谷に掛かった橋を渡ったその先。
目的地はどこか既視感を覚えそうな場所だった。
山間に佇む小さな村、訪れた旅人は二人。そして靴下をはいたような猫が一匹。

見慣れぬ顔に、何人かの村人が怪訝そうに遠巻きにしている。
翠と翠玉が交わり、どうしようかと悩む色が浮かんだ時。
足元の小さな影が「にぃぃ」と鳴いて走り出した。

「……お前まさか、ヴィンデ!?」

視線で追いかければ、その先に居たのは碧の瞳持つ青年。
手にしていた木箱を足元に下ろし、目を丸くして走り寄る猫を見て。
ごく自然にその姿を抱き上げた。

「うわ、本当に!?
 じゃあ、あいつはどこに居る…んだ……?」

そこで初めて二人の姿に気付いたらしい。
半ば警戒、半ば疑問を浮かべてこちらを見る青年に、旅人たちは小さく頭を下げた。

「君がティル、かな?」
「そうだけど…あんたは?」

20前といった年頃の青年は、眉を寄せながらも頷いた。
黒い外套姿がフッと口元を緩める。

「俺の名前はエーリッヒ。こちらはゲルダ。
 ……君たちに届けたいものがあるのだけれど、良いだろうか」



「ごめんよ、大したものが置いてなくて」
「いえ。ありがとうございます」

穏やかな、だが芯のありそうな雰囲気の女性がお茶をテーブルに並べてゆく。
薄翠の髪を揺らしてゲルダが首を振る。
ティルと呼ばれた青年は猫を膝の上に抱いて、黙ったまま二人の客人を見ていた。

「で、お客人。届け物だって?」

自分の分のカップを手に、この家の女主人も席に着いた。
じっと相手を見つめる瞳は思慮深く、何かの覚悟を決めたかのように直球で尋ねて来た。

「ええ。幾つかの品と、伝言を」

言いながら、エーリッヒは鞄の中から取り出したものを並べた。
銀の縁を持つ使い込まれた黒のカップ。
木の箱に収められた、鎖の切れたロザリオ。
そして。使い込まれた革表紙のノート。
家の主と村の青年は、それらをまじまじと見つめた。
束の間、過去が蘇ったか。暫しの沈黙が流れる。


「……全部あいつのだよな」

静寂を破ったのは碧瞳を上げた青年。
エーリッヒは静かに一つ頷き、ゲルダは軽く翠玉を伏せた。

「けど。本人は来れない、のね」

溜息と共に茶の髪が揺れる。
顔を上げ、エーリッヒとゲルダを枯茶色の瞳が捉えた。

「中、見てもいいかな?」
「はい、勿論」

書き連ねられた文字を碧と枯茶が追いかける。
まだ何も知らぬ時の詩。少しずつ変化してゆく言の葉。
暫くの時を置いたか、色が変わり再び綴られてゆく詞。
そして最後。筆跡すらも変わって、だがその想いの全てを託された言葉。
青年の喉が小さく鳴った。

「出来上がったら来るって言った癖に」

ボソリと呟かれる言葉。
傍らの女性の手が伸びて、柔らかな金髪をくしゃりと撫でた。
首を振りその手から逃れた青年は、もう一度そのノートに見入る。

「それとライからお二人への伝言があります。
 『俺は、もう大丈夫だ』と」

「…………」
「…………」

返る言葉はなく。
碧と枯茶は互いの顔を見つめ合い、それから息を吐いた。

「あのさ、聞いて構わなきゃ、だけど」
「もしかして。あの子はまた…?」

「…………」
「…………」

今度は翠と翠玉が交わった。互いが互いを案じるように。
その一連の動きだけで、言わずとも伝わってしまうものがある。

「……そっか」
「…あなたたちも、私たちと同じなのね」

「……はい」
「…そう、です」

なぁう、という声が響く。
青年の腕の中、尻尾がゆらり、揺れた。



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