- Holzerner Stuhl -


「戻ってくるんだろうね」

ボロボロで今にも崩れそうな木の椅子。
だが何故か彼女はそれがお気に入りで、いつも逆向に座りながらその背もたれに両肘を突いていた。

「どういう意味?」
「片をつけたいってのはいい。別に文句言うつもりもない。離れる奴ぁ離れる歳なんだしねアンタも…一応」

一応、と付け足されたことに少年は眉を顰めた。その特殊な身体も離れる原因だと承知した上で言っているのだから、まったく食えない女性だ。
離れる理由は一つではなく。その殆どを彼女は知っているであろうに。

「巻き込みたくないとかそんなアホ抜かしたら馬鹿にするなって殴るが」
「…殴ったじゃないか」
「そりゃ理由を知らなかったからさ」
「……さようで」

こっちが説明するよりも先に手が出てきたのだが。
まぁ予想はついていたし避けもしなかった。避けたら説明する前に倍以上が飛んでくるからだ。

「だが死にに行くってンなら同じこと。その位ならもっとここでコキ使って役に立ってもらう。そこんとこはどうなんだい?」
「死ぬつもりはないよ」

嘘ではない。だから即答した。
ただ…どうせ長くもない命、死んだら死んだ時と思ってもいるけれど。
多分、それは付き合いの短くない彼女にも知られているだろう。

「そ。ならサヨウナラは無しだね」
「…イッテキマスとでも言えって?」
「そこまでも言わないけどさ」

ケラケラと笑う彼女。赤髪が大きく揺れる。
ギシギシという音を立てる椅子。

「…リィ」
「ああ、悪い悪い」

涙を拭いながら肩を竦めた彼女は立ち上がって、奥の机から掌より僅かに大きなそれを取り出した。
携帯端末。しかも特殊加工済みのそれ。

「持って行きな。お前じゃそれでないと使えなくしかねないだろ」
「でもこれは」

1年前に死んだ先代頭の、彼女の恋人だった男の遺品でもある品。
確かに必要で何度か借りたことはある。けれど。
それに、このグループにおいて高価な財産でもあるはずで。

「一番使える奴が使う。その方が理にかなってるってモンだろ」

躊躇い無く差し出してくる彼女。
廃屋の間を縫うように一瞬だけ差し込んだ夕陽がそれを彩って。

「…ありがとう」
「ま、代金はそのうち『仕事』ででも取り立てるよ」

茜色に染まりながら、ニヤリと笑う姿は大輪の花のよう。

「偶然も続けば奇跡さ」

その二つ名、”焔華(エンカ)”そのものにも見えて。

「引き寄せてごらんよ、奇跡を。それで…戻っておいで」

すぐに迫ってくる夕闇の中に溶けていった。

少年が受け取ると彼女はヒラリと手を振って背を向けた。
その背中に軽く頭を下げ少年は建物を後にする。
暗さを増してゆく路地裏、吹き抜けてゆく風に、緑のウィンドブレーカーがバサリという音を立てた。


その部屋が無残にも崩壊したのはそれから半年後のこと。
更に半年が過ぎた時、運命は少年の前にもう一つの物語を用意する。


―― 掴んだ物は偶然だったのか。
―― それとも奇跡だったのだろうか。
―― それを知る者は、今、ここにはいない。






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