「マリー様、失礼します」

彼女はその声に顔を上げた。
声を掛けてきたのは赤髪の少年。そろそろ青年と呼んでもいい頃合か。

「ラス、お前一人なの?」

予定通りであれば、彼はもう一人と一緒に来たはずだ。
飛び出していったままハプニングに巻き込まれていた彼女の娘と。

「いや、それが……」

しかしラスはマリーから目を逸らすようにして言葉を濁す。

「……今度は何なの」

軽く眉をひそめながら、ラスを手招くマリー。
ラスは恐る恐るという感じでマリーの傍に寄った。

彼も良く知る幼精霊、ブリジットがこの影輝の精霊界を飛び出して人間界に行ってしまったのはもう先の巡りのこと。
慌てたマリーに命じられ彼女の後を追いかけてみれば、なんと彼女は影輝王ハーヴェイが暮らしているシュリセルの町に居ついていて。
王の存在にも気が付かずに定着してしまった彼女に呆れ果て、王その人と相談した上で一度報告に戻った彼が再びシュリセルの町に戻ったときには、緊急事態によって張られた結界で中との連絡が取れなくなっていた。
勿論結界が解かれてすぐ彼は中に入ろうとしたが、これまた王の伝言によって先に一度騒ぎの内容を報告にいくことになって。
戻ってきてみれば、なんと少女がもういないという事態で。

「ブリジットはどこですか?」
「ああ、旅に出た」
「はぁっ!?」
「力の制御ができなさすぎたからな。自力で出来るようになるまで精霊界には戻るなと言ってある」

さらりと返された言葉に絶句するラス。
そんな彼にニヤリと言いたくなるような笑みを浮かべてレモン水を入れるハーヴェイ。
暫しの脱力から復活して、どういうことなのかを詳しく聞いたわけだが。

「……あの方は……」

ラスからその内容を聞いたマリーは思わず拳を握った。

「……あんの、方々は……!」

そもそもブリジットが飛び出す時に手助けなぞをしてくれたのは、ハーヴェイの父親である先代影輝王フォボスその人である。
そして今回また現影輝王自らがブリジットの放浪を手助けしたわけで。
現王の従妹でもあるマリーは、他の精霊より彼らへの抵抗が低い。故に怒りもしっかりと覚えるわけで。

「ま、マリー様、落ち着いて……」

目の前のラスは流石に怯えている。どの人物も彼にとっては最大の敬意を払うべき相手なのだ。

「……文句は今度直接言わせていただくわ」

どこか据わった目で呟くマリー。確かに少々怖い。

「それで、あの子は一人?」
「まさか。それなら流石に俺が後を追います。氷破の属のミハエル殿がご一緒におられます」
「それはまた、珍しいわね?」

勿論マリーもミハエルという精霊を良く知るわけではない。だが名前は聞いたことがあり、そして氷破らしい人物であったというのは何となく憶えている。つまりはどちらかといえば他者との干渉を避けるタイプだ。
対するブリジットは、影輝の精霊にあるまじきと言いたくなるぐらいに好奇心が旺盛で、おっちょこちょいで騒がしい娘である。
疎ましがられるのならともかく、まさか一緒に旅をするような関係になるとは簡単に想像できないのだが。

「人間界も長い方だというお話でしたよ」
「……そう、そういう方がいてもおかしくはないのよね」

何しろ人間界にいる方が多い精霊王もいるくらいなのだから。
マリーは深い溜息をついてどうにか激情を押さえ込んだ。

「それならさほど心配ではないと思っていいのかしら」
「相手の方は大変だと思いますが」

思わず本音を零すラス。マリーもその台詞には苦笑するしかない。

「まあいいわ。あなたを張り付けさせておく訳にもいかないし」
「はい、それは遠慮させてください」

マリーの意図した所とは別の意味で返すラス。
だって、まさか言えはすまい。
様子を見てきた限りでは、張り付いたら馬に蹴られそう…いや、相手の本性を想像すれば狼に蹴られそうか?…だから嫌ですとは。
やっと落ち着いてくれたマリーの感情を逆撫でする気にはなれない。
だから、これはラスの心の中にだけしまっておくのだ。

マリーの前を退出してきたラスは考える。
それでもまた近いうちに彼らの様子を見に人間界に行こうと。
もともと王に憧れて人間界に出ていたのはラスの方である。
だから彼も人間界に行くのは決して嫌いではなく、どちらかといえば自分から行きたいと思う方であって。
何よりも、報告する前に様子だけ見ておこうと遠目に見たブリジット達は実に楽しそうだった。
相手に盛大に怒鳴られつつも、ブリジットの表情は実に生き生きしていて。

苦労させられた分、そんな彼女達を見て自分も楽しむくらいはいいじゃないかと。
蹴られない程度の距離は置いて精々楽しませてもらうのだと、人間形態を解きながらラスはそんなことを考えていたのだった。








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